当方は、昨年 2012 年に骨髄移植ドナー体験をした。 一年ほど経って、 DLI の要請が来たので、受諾した。 どんな経過で、どういうことをしたのかを記述する。 もし、受諾しようか迷う人がいたら、当方の場合は「チクっとはしたけど、とても痛いというほどでもない」し、「休みも二日しか使わなかった」し、「アオタンはできたけど害のある後遺症もなかった」ので、恐れる必要はなさそうだと思ったことを伝えたい。 まったく同じことになるかはわからないけれど、かなーりお気軽にできた。 当方は、将来再び DLI の依頼があったら、断る理由はないだろうなと思った。
だから、骨髄移植をした人、骨髄移植ドナーになった人には DLI についてこういいたい。 金銭的問題とか、仕事などの時間の問題は、おいといて…… 成分献血のちょっと重装備版程度だから、負担はすごーく軽い。 そんなわけで、気軽に依頼していいし、気軽に依頼を受けていいと思ったョ、と…。
当方の骨髄移植ドナー体験での手続きを思い出すと、「やめさせようとしてるだろ?」と思えるくらい厳重だったが DLI のなんと簡単なことか。 最終同意とかそんなのもなく、要約すると、健康診断して、横になっているだけだったからね。 当方のグダグダな感想とかを垂れ流したものが、下記だからして、参考になれば幸いだ。
「アタック! 299」を終えて、それほど日の経っていない 2013 年 8 月のある日は会社でお仕事していた。 当方にとっての 8 ヶ月に及ぶキツい節制(食餌制限やトレーニング)をする毎日が終わって、朝のトレーニングを休んでいた、まさに off な時期だった。 ピリリ、ピリリ、ピリリ…とカバンの中で電話が鳴っていた。 取り出し電話の表示を見ると、骨髄移植のドナーをしたときに世話になったコーディネータの方の名前が表示されていた。 「はて?最近骨髄移植ドナー体験のページを更新したが、ナンかマズいこと書いたかな?」 とビビりながら、またギモンに思いながら電話に出た。 「シバタさん、お久しぶりです」 ソのとき当方の DLI 体験は始まった。
怒られるかもと、ちょっとビビった(笑)わけだが、思い当たるフシは以下の通りだ。
ということで、電話に出てみると「体調どうですか?」から始まった。 まぁ当方の場合は節制してトレーニングしてアタック! 299 を終えて、休養期間に入った直後だったので体調が悪いはずもなく「とても良い」と答えたと思う。 で、まぁ本題に入って、「ドナー手帳に DLI というのがあったわけで、ソレの要請をしたい」ということだった。 当方にしてみると、「んーナンかありましたっけ?」状態だ。 ま、献血みたいな感じで長い入院もなさそうだし、このコーディネータさんの言うことだから、問題あるハズがない。 すぐさまオオブネに乗った。 だいたいの日程もこんな感じということを教えてもらった。 コトは急を要するだろうから、即答で「受諾」の意思を表明して、都合の悪い日程を述べて、いったん電話を切った。 ちょっと障害になりそうなのは、実は当方ドナー候補の状態を 8 月末まで「保留」としていたことだった。 骨髄移植のドナーは保留だが、 DLI は別だからいいんじゃないかと思ったし、当方がいいと言ってんだからいいとも思った。 。
それから、ちょっとして電話がかかってきて、仮決め日程を教えてもらった。 さすがだ、仕事が早い。 コチラでも、勤務先の調整を始めた。 特に障害はなさそうだった。
DLI とはどういうものかということを知りたい方には下のリンクをつけておく。 当方は小心者なので、詳しく調べるとビビって怖くなるので、軽く調べてリンクを提示することして、自分ではよく読まないことにしている。
ちょっと気になったのは、コーディネータさんの「書類が送られている通り…」のくだりだ。 最初の電話で、そんな話になったが、当方は「そんな書類は来てない」ということを述べた。 何か要請の紙なんだろうか、アレコレあった後に確定日程の書類は後日当方に届いたが、要請のたぐいの書類は来ていない、ナゾだ。 「あなたは DLI のコーディネートです」みたいな書類があったんだろうか? 当方の骨髄移植のドナー体験ページの中に書いたように、当方にワケわかんねー言葉遣いだとコキおろされること恐れて送って来なかったのだろうか?(笑) ……後で聞いてみたら、当方の聞き違いだったようで、到着確認「 DLI の依頼の書類届いていますか」という旨の話で、お手紙が来ているかの確認のつもりの電話だったらしい。
で、だ。 仮決め日程を当方でも調整を終えていた。 仮決め日程を教わって数日後、コーディネータさんから電話がかかってきて「いったん白紙撤回」の旨の電話がかかってきた。 「は?」だが、まぁそう言うことなのだろう。 なんてこったい、社内を含め多方面への調整を済ましていたのに… orz
白紙撤回から数日、音沙汰もなく、そもそも DLI 自体も白紙撤回になったのかな?と思って数日後、電話が来た。 上司からもなくなったの?と聞かれていたので、いいタイミングだった。 日程が 9 月で組まれた。 そう、 8 月の実施がなかっただけで、 9 月になった。
再び動き始めた。 上司とも話をしてプロジェクトの進行にも特に支障がないことがわかった。 調整して、検診、本番だ。
9 月某日、神奈川県の某病院で DLI のドナーとして問題ないかどうかの健康診断があった。 約一年ぶりに会う骨髄移植のときのコーディネータさんは以前と変わらないとてもよく通るいい声だった。 外見はというと、以前よりキレイになっているように思った。 ステキに年齢を重ねているのだろう。
実はその前日に勤務先の健康診断があったばかりだった。 まだ結果はでてなくて、連日の検査って感じ。 DLI のための適格検査は、尿検査と血液検査と心電図検査だけだったかな。 当日に結果がでるということだった。
聞いてみると DLI 自体の実績はまだ珍しいことみたいだ。( 2014/01/16 追記:現時点で 581 件しかないらしい) 骨髄移植が 12000 例を超えてるようだが、 DLI が千例にも満たないってことは、患者のほうも新しいことにチャレンジだっつうことだな。 当方ができることはリンパ球を差し出すことしかデキン、スマヌ>誰とはなく。
結果から言えば、「特に」問題なしだ。
しかし、小さい問題はいくつかあった。
a) 洞性徐脈、 b) T 波先鋭、 c) 1 度房室ブロックという所見だ。
既に a,b については知っていたので、 白状 告知していた。
洞性徐脈ってのは、脈が少ないことだ。 60bpm (毎分 60 回の拍動)より少ないと徐脈という定義だそうだ。 当方はほかのページを参照するとわかるように、修行のために乗っているチャリンコ乗りなのだけど、 wikipedia の徐脈からのリンクなどの周辺の説明を読むとチャリンコ乗りな人の心臓はそんな風になりがちらしい。 少なすぎるとドナーになれないらしい。 とりあえず当方の 44bpm は容認レベルとのこと。
T 波先鋭については特に言われなかったが、そういう所見であった。 前に調べたら「若い」からという、勝手な自己解決をしたような気がする。
今回初めて指摘があったのは、 1 度房室ブロックだ。 心臓のポンプは上下に二分割されて収縮があって、上が縮んでから、下が縮むという仕組みと教えてくれた。 で、今回の 1 度房室ブロックは上が縮んで、下が縮むまでの時間が長いってことらしい。 で、 1 度って? と聞くと心筋梗塞一歩手前とか(笑) これが 2 度とか 3 度とかになると?と聞くと、心拍が飛ぶとかなんだと。
結論としては、今まで「胸が痛かったことはない」「ボチボチ自転車に乗っている」「日常生活も全然問題ない」「献血もこなしているし、骨髄移植ドナーもこなした」というところから、問題ないでしょ。 ということで、続行となった。 あ、担当医師に「センセイに恋をしたら胸が痛くなるかも」とか、セクハラオヤジ全開の発言をしたら笑いが取れたか?
実際にリンパ球採取のときには二箇所に針を刺すことになると教わった。 一方で採血し、装置の中でリンパ球を分離して回収し、もう一方で返血するという方法だ。 成分献血が一本の針で採血を返血をするのとちょっと違うが、リンパ球という成分を分離するのだから、成分献血と基本的には同じだ。
この採血と返血のための血管を検討した。 駆血帯で上腕を縛って血管をふくれあがらせ、医師が「どの血管にしよっかなー」とね。 ただ、腕の血管に針を刺したときには腕は動かせない。 二時間くらい腕を動かせないとか、もし、どこかが痒くなっても腕が動かせないので看護師に依頼せよということだそうだ。 で、検討しているときに「せいちゅうがみつからない」と言っていた。 なんか、ヒジの内側の深いところに太い静脈があるんだそうだ。 それが見つからないとか。
もし、腕でうまくいかないときには、大腿静脈にチューブを入れて採血と返血をするとか。 これだと一本らしい。 局部麻酔をしてモモの上のほうの鼠蹊部(そけいぶ)に近いところに針をさし、 20cm くらい差し込むとか。 大変太い血管らしく早くできるらしい。 ただし、腕でやったときにはその日のうちに帰宅できるが、大腿静脈に挿したときには感染症や他の心配もあって様子を見ることにするから一晩泊まっていってもらうといわれた。
大腿静脈からの採取になったときには、脚の毛を剃っているという大変恥ずかしい状態( 0.2 iNARI くらいか)を見られることになるなぁと思った。 っつーか、医療関係者だから、ソの時に何を見たって仕事として作業していれば、チ○チ○見たって左側のノーミソしか働かないんだろうな(笑)
まだ、夏の残暑が残るソの日の朝、病院に行くとコーディネータさんがいた。 最後までいるとか。 どうせ、当方は動けないし、コーディネータさんはやることもなくて、病院の手続きとかをやってくれるが、それ以外の採取時間な三時間くらいはヒマだろうと思った。 「つうか、居なくていいんじゃね?」くらいの気軽さで聞いたら、「仕事ですから!」と一喝。 はい、わたくしが間違っておりました、当方がコーディネータでも仕事なら待つわな。
病棟に到着するとロビーというか待合というか、ナースセンターの前の広いところのベンチにコーディネータさんと座って待った。 そのうち看護士が一人きて、身長と体重と体温を測った。 また、病棟の設備の説明を始めた。 何日くらい入院するか?と聞かれて、「順調なら今日退院で、長引いて明日」というところでコーディネータさんが助け舟を出してくれて、一日入院だと告げてくれた。 そうか、そういえばよかったんだと知った。
ロビーで待っていると、看護士が来て、部屋に案内してくれた。 病室に入ると空いているベッドが二つ。 一方のベッドの脇には、なんか唸っている装置がひとつと、傍らに工学技士と自己紹介された方が一人。 この工学技士という方は、人工心肺とかの病院にある難しそうな装置一般を取り扱う人らしい。 新しい装置が入ると彼らは講習を受けに行くってことだそうだ。
前準備といっても、採血する血管の場所と、返血する血管の場所を決めるだけだ。 あとはその針を刺す予定の場所にシールを貼ることくらいか。 そのシールを貼ったところは麻酔が効くらしい。 麻酔をするってコトは、きっとぶっとい針を刺すのだろうなぁ。 痛そうだなと、ちょっとビビる(笑) ビビったからといって、辞めるわけにも行かず、「二時間動けない」状態の対策にトイレに行った。
シールでの麻酔とすると皮膚の麻酔っつうことで、コカインか!と期待したが、普通はプロカインとかリドカインが使われているんだろうな、と思った。 調べたら「ペンレス」というシールな麻酔があるじゃないの。 有効成分はリドカインみたいね。 そーいや、以前リドカインが入っている軟膏を探したっけな。 ヒザとか尻とかウェストなどのこすれるところが痒くて湿疹ができたことがあり、近江兄弟社メンターム EXプラスに落ち着いた覚えがある。 最初は小林製薬フェミニーナ軟膏Sをつかっていたが、高いので、有効成分を考えてみたらリドカインらしいということで、たくさん使えてお安い物を探したのだった。 使い続けると依存がでるのがわかって、ヒドくなるときしか使うのをやめて徐々に痒くならなくなって、最近はほとんど使わないで済んでいる。
さて、採取を始めるにあたって暑いので、上半身についてシャツ一枚にさせてもらった。 当日は涼しくなって来ていた日だったし、病院の人も涼しいと言っていたが、当方の体感温度は他の人よりも 3 ℃~ 5 ℃くらい高いのでマダ暑かった。 自転車に乗るようになって暑い状態に非常に強くなった上に、暑いとこぼしても何もならないときには黙っていることが多いので暑くないと思われているが、実は暑いと感じていることが多いのだ。 二時間ほど動けないなら、快適に涼しく感じられる程度に脱がせてもらってもバチはあたらんだろう。 実は、ズボンも脱ぎたかったし、靴下も脱ぎたかったが、オッサン丸出しなのもちょっとアレかと思い、ソコはちょっと見栄を張った。
上半身をシャツな状態になったらベッドに横になった。 心電を測る装置かな、左胸にセンサーっぽいものを取り付けた。 続いて腕に針を刺すわけだが、担当の医師が緊張しているっぽかった。 コッチもちょっと緊張した。
採血針のほうがイマイチな状態だったらしく、刺しなおしになった。
そこで、当方は
「練習通りに、どうぞ」
と励ましてみた。
看護士が見ていて
「落ち着いてますねー」
とか言っている。
ココロの中で、キンチョーしてますよーとつぶやいていたけどね。
さらに、
「○○先生なのに…」
とか言うし!
針を刺そうとしていた採取担当医師なのだが、若い女の先生で、美人だったのだ。
普通は、ドキドキするものだということで、心拍数がすごく上がることを看護士らは期待していたらしい。
いや、心拍あがってるし!
当然、当方はコメントしないわけにイカン。
「えっ!私って失礼な状態ですか?」 と。
「だって心拍が 50 前後だし」 と看護士。
「いや、ソれはじゅうぶんに緊張していて心拍上がってます」 と当方、そうなのだ当方の心拍はこの病院で測定したとき 44bpm 程度だったから、二割も心拍上がってますよと思った。
そこは話題になっている美人な採取担当医師の先生がフォローしてくれて、
「シバタさんは心拍がすごく少なくて、今は上がってますよ」 とね。
そのココロは、だから失礼な状態じゃないんですよと。
ありがとー! センセイ感謝します! とココロの中で感謝した。
そこから、心拍が少ない原因がチャリンコに乗っている話になり、当方が時々参加しているブルベの話へと発展した。
600km って新潟方面行って、長野寄って帰るみたいなとかね。
あぁ、きっとヘンタイだと思われただろうな、ちょっとサビしかった(笑)
でも、心拍関連のあたりでちょっと笑いが取れたから、まぁいいか…。
あるいはソのときに、心拍が 180bpm くらいまで上がればもっとウケたかな?
採取といっても、当方がやることは特になくて、基本的には横になっているだけだ。 あえて言うと、採取側の針にちゃんと血が行くようにするくらいだ。 血が行くようにってのは、駆血帯をしていても採血ができにくくなることがあるので、左手に持ったニギニギ用のブツを時々ニギニギするってことだ。
結局、機械が「血が十分に取れないゼ」って感じの警告音が頻繁に鳴るので半分くらいの時間はニギニギしてたかな。 だってさ、腕で採れないと大腿静脈穿刺して、リンパ球採取するんだぜ。 そうなったときには、陰部に近いからチ○チ○見られちゃうかもと思うと、やっぱりニギニギしたさ。 あ、ニギニギしてたのは左手に持っていたニギニギ用のブツだからな! チ○チ○じゃないぞ! 大腿静脈穿刺すると一晩泊まらなくちゃいけなくなって、社畜な当方は翌日仕事にもいけなくなるのは避けたかった。
採取が始まったら、ボチボチ人が減った。 最後に残ったのは、工学技師の人だけだ。 そう、採取装置のお守りをしている人だ。 ということで、メカに強いと期待して、「記念写真取ってください」とお願いして撮影してもらったのが冒頭の写真だ。 ベッド上で横になっている当方の隣にある装置が、当方の左腕から採血して、リンパ球を分離して、右腕に返血する装置だ。 やはり、撮影すべきものがほぼ全部写っているいい写真だ、最適な人に頼んだと思う。
工学技師の人が美人の女の人だったら、眺めていても良かったんだが、残念ながら普通の見た目の男の人だったので、時々うつらうつらしながら、左手ニギニギしながら装置のカウントダウン(残り時間表示が見えたのだ)が正確であることを期待して横になっていた。 え? なんで正確を期待って? パソコンのファイルコピーとか、フツーに 5 分って出た直後に 3 時間とかでて、さらに 2 日とかでたりして、すぐに変動して 4 時間になったりして機械類の残り時間なんてあんまり信用できなくなっているのさ。 とにかく、カウントダウンを時々目を開けて見ていた。
残り 5 分くらいになるころ、だんだん人が集まってきた。 カウントダウンは当方の「ヘンな期待」に応えず、たぶん一定の時間に対して、一定の進行をしてパソコンのような変動は特になかったようだ。 残り時間がなくなると終了となり、工学技師の方の「終わりです」という声で終了した。 みなさん「お疲れ様」と言ってくれるが、当方はベッドに横になっていただけなので、疲れてないよ。 覚えている数値のメモ…採取時間 09:55 ~ 11:45 で、リンパ球の液 117ml 採取。
最後に採取後の血液検査ということで、検査用の血液採取を行って終了だ。 後処置っつうことで、針を抜いてパッチを貼った。 献血と同じようにチョットの間バンドを巻いて圧迫止血だ。 この辺でコーディネータさんが来たような気がする。
止血処理を行った後は、血圧を測った。 リンパ球採取の前に水分を多めに摂っていたせいで、おしっこ行きたくなっていたので、トイレに行かせてもらった。 検査結果が出るまで約一時間休んで待っていることになった。 リンパ球採取中に昼食をどうするか聞かれたので、食べたいと言っていたため病院の昼食がでてきた。
採取後の病院の昼食出てきた昼食をみて思い出した。 スッカリ忘れていたが、病院って「マイ箸」を持っているのが普通なんだよな。 カバンにスプーンとか箸になりそうなものとか探したが、「当然もってナイ」ので、手づかみで食べることにした。 最後に手を洗えば何も問題ない。 …とてもおいしかった。
お昼を食べてヒマしてぶらぶらしていたら、コーディネータの方がいらして一緒に待った。 そうして、担当医師が来て、「検査結果に問題なし」ということでお役御免になった。
すべてが終わった病室病院の会計のあたりに行って、コーディネータの方が(一日であっても入院したので)「退院手続き」をしてくださった。
その後の経過を書いていくことにする。
リンパ球採取翌日には出社して普通に仕事をした。 昼間に、コーディネータさんから電話があった。 「当方は元気である」以外の答えが思いつかなかった。
右腕の返血の痕付近にはアオタン(内出血)が広がった。 左腕は二箇所刺したが針の痕の二箇所の点以外何もなく、アオタンもできなかった。 痛くないし、誰に見せるわけでもないので、特に問題はない。
採取翌々日の右腕アオタンこの原因に思い当たるフシがある。 当初の予定では、両腕ともヒジの内側に針を刺し腕がまったく曲げられないことになる予定だった。 しかし、両腕ともまったく使えないと非常に不便なので、右腕の返血側について、上腕に刺せばヒジも曲げられるから少しは使えると気を利かせてくれたのだ。 そのため、当方もメガネを外したり、ちょっと痒いところを掻いたりと右腕を動かしたりした。 そのためアオタンができたんじゃないかと思う。
デジカメの写真に写るくらいだから結構大きくて濃いアオタンだとおもってくれていい。 見た目がハデなアオタンなだけで、痛くもなんともないので、全然困っていない。 一週間後がピークでその後は薄くなった。 アオタンの中心くらいにある点が針を刺したところのカサブタね。
採取一週間後の右腕アオタンリンパ球採取は、入院手続きが必要なので、入院関連書類が必要になった。 で、入院関連書類に書き込むに当たって、ちょっと不思議なところがあったので書いておく。 一応事務の方に聞いたら、「あら?」ということになったが、軽く流された。
凡例では、男は□で、女は○、死亡は黒塗り(男は■、女は●)、自身は二重のマークで男は回(本当は□が二重になる記号)で、女は◎だ。 ということを理解して下の例の図を見ると…二重線は婚姻関係にみえるんだが、本人◎で、配偶者っぽい人は●となっている。 上の世代っぽいペアは男女みたいなので両親だと思われるし、両方死亡したようだ。 つまり、本人は女で、配偶者っぽい人は既に死亡しているがその人も女に見える。 ギモンは『女同士で結婚している?』 実にナゾだ。 印刷物なのだし、長いこと使っていそうなんだがなぁ。
家族構成の図当方はココロザシが低いのと怖いのとで、骨髄移植も DLI も詳しくは調べてない。 だから、他の人がどんな風に DLI のドナーをするのかはしらない。 でも、ほかの DLI でリンパ球提供する人が不安に思うなら、こんなに簡単だよとわかれば安心して提供できるようになると思う。 別の人が、まったく同じになるかどうかはしらないが、だいたい同じような感じになるんじゃないかな。
今回の件にかかわったコーディネータ・採取医師・彼らを支える看護師や財団のスタッフには、感謝している。 快く送り出してくれた上司と同僚にも感謝している。 また、リンパ球を受け取るところの当方の骨髄を移植した方が、元気に生活できるようになることを願っている。
思いつくところを追加してみたいと思う。 意見・感想・質問も歓迎だ。
当方(SHIBATA Akira)は, 本サイトをご利用の際に起きるかもしれない不利益に対し, 一切責任を負いません.