去る 2009 年 7 月に CX900 に乗り始めて、一年経たずにブルベに参加を始めた。一応 200km も 300km も 400km も膝を痛くしたけれど完走できている。 100km くらいならすぐにでも走りはじめられそうだ。(膝痛くなるけどな〜、笑) だったら、そりゃー次は 600km でしょう♪
「ブルベ」について、ルールや詳しいことはオダックス・ジャパンのペイジをみて確認しよう。
で、自分のためにどういうコト・モノが役に立ったかとかそういうメモを残そうと思う。
対策・装備について記述する。結果は後述。
600km で制限時間 40 時間。 400km を 25 時間ちょっとで走ったのだけど、あと 15 時間で走りきれるのか? 当方の場合、最初だけちょっと早いが、ペースは後になるほどどんどん遅くなっていくので非常に厳しい状況といわざるを得ない。 終わってからそのまま起きていたが、 5 時間後に 10 分くらい献血のベッドが心地よくてオチたし、その帰りにはヌクヌクした電車の中でもカクーんとキた。 よって、睡眠についてはちょっとヤバいがどれくらい寝ないで済むのかわからないので出たとこ勝負で行こうと思う。←人はコレをバカと呼ぶ (^^;
大先輩によれば「寝るととても違う」らしいので「休息は取ったほうがよい」とのこと。 当方の場合、休息をとると脚が固まって動かなくなるので今回は路傍で休憩を考えている。 そのための脚が固まらないように出力を上げすぎないための最終兵器投入だ。
と思ったのだが、最終兵器は納品が間に合わなかった orz …ということで、投入は次回以降に持ち越しなのだ。
400km ブルベまでに得た知見(加速は緩く、水をいっぱい補給し、炭水化物を摂る)を活かして、チャレンジしてみようと思う。
4/24 に病院で見せて、非常に困っているほどでもないということを告げたら、「じゃぁ一旦終わりにしましょう、なんかあったらまたきてください」と言ってもらった。 時々、ペンのキャップを取れないとか、袋を開け難いとかあるけれどもだいたい容認できる状態になっていたから、わかりやすくて大変ありがたい。 日常生活で気をつけることは「ない」とのこと。 ということで、前のギアが変えにくくなったら右手で変えるっつう方向にしよう。 400km でもなんどかあったが、左手はその後復活するなど、ずっとダメな状態でないことになったので、人生が Game Over になるまでなんとか付き合っていこう。 医者の独り言とネットでみるに肘部管(ちゅうぶかん)症候群っぽい。 右手の薬指と小指は自転車に乗る前からシビレがでていたから、左手がしびれないだけで力が入らないのもさほど驚くにはあたらない。 要は生活のなかで、あるいは自転車に乗るなどの何かをしているときに困らない程度に動いてくれればそれでいいのだ。 幸いにしてソコソコに動くようになったので治療終了だ。
基本的装備は BRM320 埼玉 300 アタック愛鷹同様だ。 今回もコマ図スクローラを使おう。 また、膝の腱痛や筋肉痛にむけてエアーサロンパスも持っていくことにしよう。
と思ったら、荷物にエアーサロンパスを入れることを忘れたので、買ったのに持っていかなかった。
ハンドル上側にはコマ図スクローラや GPS 端末と距離計がついている。
荷台のバッグには今までは着用していたが、もう暑いのでスタート時点では着ていなかったウィンドブレーカ用ヤッケと防寒手袋を入れた。 荷台後ろには輪行袋をぶら下げ、水のペットボトルをその上に載せることもあった。 合計で 27kg とシャレならん重さになった。ハンドル下側には前哨灯を三本。 電池のモチとして長寿命で、わりと明るい通常使いな 130 ルーメンモノ(AAx3 写真では手前側)を使い、中央には申し訳程度なモノ(AAx1)、反対端には最強明るいが、電池のモチが 1 時間程度しか期待できない 180 ルーメンモノ(AAx2 写真では奥側)を装備した。 街中や上りは 130 ルーメンモノだけで済ませた。 街灯のない真っ暗な道を下るときは 130 ルーメンモノに加え 180 ルーメンモノを点灯した。
この時期の服装は難しい。 雨が降ればこごえるし、晴れれば暑い。 しかも自転車だと首筋から後頭部にかけて日光が当たり放題だ。 日焼けするととても痛そうなので対策が必要なわけだ。 ただし、クリームは暑いのと、当方の皮膚が弱いのでかぶれたりしそうということで不採用とした。
大工さんの「頭にタオルを巻いた姿」を参考に、手ぬぐいを縛らずに首筋にかかるように垂らし、ヘルメットを被って日よけとした。
顔については、日焼けしなれているので何もしない。
今回は輪行は見送った。 自動車でスタート地点まで行って、帰りは車内で仮眠を取ってから帰途につこうと思う。 ただし、リタイヤするときに必要になるし、イザというときには寝袋にもなるとのことで輪行袋は持参した。
デジカメは今回も PENTAX Optio W90 の予定。 前回は水にも恐れることなく使えたのでまさにうってつけだったが、カバーが欲しくなったので、エラストマーなカバー(PENTAX プロテクタージャケット O-CC1032)をつけた。
ルートラボにはコース図以外に、標高遷移図もある。 これを、上り坂の始点とピークについてスタートからの道のりを書いておくと、「どれくらいの傾斜」「どれくらい長く続く」などの目安になり、ココロの弱い当方にとっては「あとこれくらい漕げばこの苦しみから開放される」という望みの光になるのだ。 たとえばスタートから約 390km 地点から約 430km 地点まで 40km ほどだらだらと約 3% 勾配で登るわけで、その後 20km 下り基調などがわかる。 延々と続くのぼり坂であっても、永遠に続くことはないのはあたりまえだが、いつまで続くかがしりたいのだ。 せっかくある技術、使わないでどうする?ということで今回使ってみた。
下は今回コース確認に使わせてもらった Mario さん作のルートだ。
川口から猪苗代湖の北側を通って郡山
郡山から南会津で往路をたどってゴールまで
「暑くて、寒い、キモチのいい」ブルベだった。
日中はお日様の光を浴びてというと、ヨサゲだが、暑かった。 雨に降られず、濡れた路面や水溜りのある道路を走ったり、霧の中を走り、夜間は寒かった。 暑かったり、寒かったりしたけれども、昼間の山間の峠道は森林浴とでもいうのだろうか、涼しくて非常にキモチよかった。
写真は使いまわしで、どら焼きはナシ。 4 月のブルベのときに焼きそばが 1000 キロカロリーを超えていることを発見したので、今回も焼きそばとバナナを食べた。
前の晩に自転車に基本的装備を取り付け、自動車に載せた。 その後、飯能から川口のスタート地点へ運転して行った。 約 50km 二時間の行程だった。 帰りも同じ道のりだと思うと少々気が重かった。 というのも、眠くなるに決まってるからで、車内で仮眠を取るつもりなので、毛布も積み込んだ。
スタッフの方が設営していると続々と自動車が集まって来て自転車が出てきた。 自動車は時間が読めないせいなのだろう、やや早めに来ている人が多かったように思えた。 直接自転車に乗ってきたり、輪行の方も集まってきた。
自転車乗りの人と道路を散歩していたオバハンとの会話が聞こえてきた。 「自転車でどこ行くの?」 「会津若松のほうまで」 「一日で?」 「えーっと、ゼロ泊二日で…寝ないで走ってるので…」 「へー、それはすごい」 みたいな感じだった。 オバハンはここがキチガイの集結地点であることがわかっているような感じだった。
書類へのサインも滞りなく終わった。 ブリーフィングは、まぁ「早く帰って来い」とか「暗いから気をつけろ」とか「通行止めの区間の看板見とけ」みたいな話で、緊張していたせいか、やたら面白かった気がする。 検車が済んで、続々とスタートした。 恐れていた雨もなく薄曇のなか走行を開始した。
今回は PC1 まで 60km もないのでボチボチという感じだった。 ただし、前回の愚を繰り返さないためにも、土手上のサイクリングロード以降も自分を見失わないようにゆっくりを心がけた。
上は土手上サイクリングロードを走行する列車だ。 土手手前まで一緒にいたが、ついていくとガンバっちゃって前回と同じことになりそうな気がしたので、手前の駐車場の便所に寄って用足しをして、一旦離れて写真を撮ってから走行を再開した。 結局、橋を渡ったところで追いついちゃったのだが…
この列車、ちょっと遅いかなーと思った。 しかし、下の結果の項でラップを記述するが、実は結構な高速列車でハイパークルーズもいいところだった。 もっと早い列車もあったが、長丁場なのだからちょっと遅いくらいを選択していいハズと考え、抑えて走った。 そのおかげで、今回は膝の痛みはあまり酷くならなかったし、途中で回復した。 方法としては、「停止後の発車時は多くの方が立ち漕ぎをするが、当方は座ったままで回転をあげてから、ギアを変える」「のんびり加速して、追いつけなかったらソレはソレと割り切ってムリして列車につかない」「後続が追いついてきたときは、発車直後が遅いので迷惑にならないように最後尾につく」の原則を維持した。
上の写真で左から 5,6,7 台目あたりがこの集団の先頭の三人で、この後も助けてもらった。 というか、当方が勝手に寄生していたのだが… うち二人が Team C.R.S のレーパンを着用していた。 三人で走っていたが、三人が先頭交代な列車を構成するわけでもなく、ずっとお一人が引っ張るという状態で当方にはなかなか不思議だった。 何かの理由で先頭が入れ替わることがあると、そのまま走行するので、先頭が完全固定というようでもないようだった。
薄曇のなか、 PC1 へ到着した。 そろそろ暑いかなーという感じだった。 ココへ来るまでにボトルの水を飲み干してしまった。 そこで、ポカリスェットと水を 500ml づつ購入して充填した。 実はそれが大きな失敗の元だった。
ふと思ったが、ジベタリアンという言葉はいつ頃流行ったろうか? その昔、公園や店舗の前でしゃがんでタムロする人々の重心が年々後ろにズレていっているので、将来重心はかかとよりも後ろになる→すなわち、しゃがんでいられないので地面に座るようになると予言され、実際そうなった。 それを見て眉をひそめる大人がいたわけだが、ブルベ参加者はいい大人(参加資格は 20 才以上は必須条件)がコンビニの駐車場で座ってメシ食ってる。 当方はウンコ座りの世代なので駐車場で座ってメシを食うことには抵抗がないが、やっぱりヤダと思う人もいるんだろうなぁと思った。
朝の曇天がウソのように晴天に恵まれた。 いいのか悪いのか判断に迷うところだ。 というのも、暑い! 雨だと不快だし、寒いと聞いている。 この時期のベストな天候は曇りだろう。
写真は道の駅「思川(おもいかわ)」の手前での列車。 PC1 を早めに出たが、 PC1 まで引っ張ってもらった列車に追いつかれたので、抜いてもらって寄生連結した (^^;
次の PC まで 80km あるし、トイレに寄っていこうと道の駅「思川」に寄った。 400km のときにはたくさん自転車がいたが、今回は誰もいない。 PC1 から近いせいだろう。 ま、トイレで用足しをして気分転換もできた。 車載ボトルの水が少ないが、あと 60km 余りだからこのまま走りきってしまおうと考えた。
ところが、その後暑い暑い、水がなくなった。 別の列車に寄生して進行したが、いいペースで進んだ。 昼ちょっと過ぎにスタートから 100km を超えた。 考えてみると恐ろしくハイペースだ。 しかし、膝の状態は悪くない。 信号ストップ後のスタートでは離されるが、しばらく走ると追いつくということを繰り返して、膝への負担を大幅に減らすことに成功したと思った。 だんだん風景も山道になり、ダラダラと登る道が続いた。
ノドが乾いた、水を飲みたいがボトルは空だ。 道脇の川に飛び込んだら、やっぱり冷たいんだろうなぁと思いながら登っていった。 PC2 では水だ、水を 2 リットル買った。 ポカリスェット 500 ミリリットルを二本のボトルに分け、水をいれて薄めた。 残りを飲んだ。 計算上、一リットルほど飲んだ。 トイレに行く気にもなれず、食欲もない、頭痛がする。 頭痛は熱射病っぽいか?とリタイヤが頭をよぎる。
PC2 から PC3 はいよいよ山道に入っていく。 頭痛がするし、食欲もなく、こりゃイカンと、積極的に水分補給につとめた。 また、山道なので列車に乗っている意味も余りなくなったので、上り坂ではちょくちょく止まって、水分補給をしつつ、休息も取った。
山道は林の中も多く、涼しくなってきていた。 徐々に頭痛も取れた。 しかし、膝が痛くなってきた。 上り坂で負荷が高かったか?
橋の先に先行車が見えるわけだけど、うーんと遠くだと、なんか萎えて、ガックリという感じだ。 もともと自転車には orz みたいな格好で乗っているのだから、ガックリしても体勢は変わらない (笑)
PC3 では、やや膝が痛いが頭痛はほぼ治まった。 ここで、店員さんから応援をもらった。 夜の気温を聞くと 9 ℃くらいまで下がるとのこと。 ウィンドブレーカとしてのヤッケが役に立つかもしれないと思った。 頭痛が治まって気が大きくなったせいか、焼きソバが食べたくなった、脂が結構ギトギトしていたが食べてウマかった。 問題は次の PC までの道中で、キモチ悪くならないかということだが、問題なかった。
下の写真は珍しいダンゴ標識。 国道の逆さオニギリ型標識が三段だ。 四段重ねのところってあるのかなぁ。
PC3 を出てなるべく早めに PC4 へ着きたかった。 というのも、ブリーフィングで土砂崩れで迂回路があるが、狭くて暗いとのこと。 早めに抜けたかった。
日没後、薄明の中 130 ルーメンモノの前哨灯を点灯した。 ヘッデンを出していなかったので、見たい方向に明かりが向けられず閉口した。 まぁ、道路はボチボチ見えたのでそのまま走行したが、結局 PC4 に到着する前に取り出してヘッデンも点灯した。
焼きそばを食べても問題なかったことがわかったので、焼きソバを再び食べて、さらにから揚げまで食べちゃった。 うん、どんどんエスカレートするぞ、このままならブルベ中に焼肉も食えるようになりそうだ。
峠を越えるころ、下りはじめるちょっと前に、はじめの頃に引いてもらった「 Team C.R.S の三人」に追いつかれた。 そこから、また勝手に寄生してついていくことにした。 いや、もうなんとお礼を述べてよいかわからんが、ズイブンと道をロストした人がでたようだった道のりを最小のミスで済んだ。 たくさんの目があるってことはそれだけ色々みて、アソコじゃないかなどと曲がるところを見つけられるわけだ。 で、ちょっと道を間違えながらも PC4 へ到着できた。
PC4 → PC5 は 60km ちょっとあるが二ヶ所の左折さえ間違わなければ到着できる簡単なルートだ。 当方は、平地は遅く、峠の登りはもっと遅い。 だから、さっさと PC を出るのだ。 夜だから写真はナシね。
PC4 の後、街中を抜け、猪苗代湖までの登りはキツかった。 ボチボチ脚は回るが、回しすぎるとハァハァして心臓が苦しく、回転が低いとペダルが重いということで、途中三回ほど休んだ。
上り坂が緩くなったと思ったら遠くに夜景が見えた。 水平線のように…と思ったが、手前が真っ暗なのは猪苗代湖で、本当に水平線だったようだ。
猪苗代湖の湖畔を走る道はその後ちょっと登って郡山へと下る。 このちょっと登るあたりで、「 Team C.R.S の三人」と三度目の遭遇。 ガンバって登りもついていった。 そのあと下るから休息できるハズという算段だ。 一応ついていけたが、結構疲労した。 あの三人組についていくのはなかなか大変だったが、途中珍走団にも遭遇し、一人よりは「 Team C.R.S の三人」がいてくれたおかげで大変安心感があった。 今回当方が「完走できた」こと、しかも「早かった」理由はこの三人のおかげだといっても過言はないと思う。
夜半過ぎに PC5 に着いた。 誰かが言っていたが、「ミヤゲを買おうにもこんな時間じゃドコの店も開いてない」…その通りだ。 開いていたら、薄皮饅頭とかユベシとか買おうかと思ったが、当方の考える順調よりもかなり早いペースだが買えないよ。
PC5 を出るとほとんどの人は「東洋健康センター」に吸い込まれて仮眠したのだろう。 当方は 400km の経験もあって全然眠気がない。 したがっていくだけ時間の無駄のような気がする。
PC5 の手前から霧が出始めていたがどんどん濃くなり若干寒さを感じた。 そこでヤッケを上下着たが漕ぐと暑い。 解決策は下半身だけヤッケを着て、上半身は坂を下るときに着るということで済ませた。 多分、下半身は感覚が鈍いのだろうあまり暑いとか寒いとか感じない。 だから、トータルで放熱の収支を合わせて、上半身で放熱の量をコントロールと考えたわけだ。
とちゅう一人の時に再び珍走団に抜かれたが、何事もなく遠くへ行った。 低いところに行くと霧が晴れ、山に上がると霧の中ということになった。 いつもはガンガン抜かれるのに、 PC5 〜 PC6 の間は一人にしか抜かれなかった。
822m の峠の写真を撮っているときに後続の方がきて抜かれた。 この方と PC6 で話したら、当方と同じくノンストップ(寝ないで来ている)とのこと。 いけるところまで行くという同じ作戦みたいだ。 なお、 PC6 ちょっと手前で追いつかれた人としばらく話しながら並走した。 この方はウワサの精米所(米の自販機のあるところ)で寝たとのことで、曰く「ヌカの匂いはしたけど、臭いほどじゃなかった」ということで、少し仮眠したらしい。
PC6 では昨日気温が 9 ℃くらいまで下がると教えてくれた店員さんがいたが、混んでいたのでそのレジに当たらず御礼をいえなかった。 そうそう、このコンビニではブルベ参加者にキャンデーをくれていた。 応援ももらった。 とてもありがたい配慮だと思った。
PC6 までも 20km ほど登ってきていたが、さらに峠の頂上まで 20km ほど登るので、(昨日はもう過ぎたことなので…)「本日のメーンイベント」ってな感じに峠が待ってくれているわけだ。 そう、この PC でブルベにおいて初めてコーラを飲んだ。 これまではゲップが、ウェッとくるのを恐れて飲んでいなかったのだ。 しかし今回は、焼きソバやから揚げなど脂っこいものも食べているので怖いものなしだ。 結果としては、元気がでた。 早くはなかったが、峠もペダルをくるくる回して割とラクに越えられた気がする。 もう、ゴールは見えた気がした。 しかも、明るいうちにゴールできるかもしれないとまで思ったのだ。
PC7 ではサラダ巻きを食べた。 200km の途中でオニギリを食べて、ウェっときてそれ以来ご飯モノは忌避していたが、チョーシこいていた当方はサラダ巻きを食べてみたのだった。 特に問題無しだった。 PC7 から 10km くらいでヒトヤマあるが、それを超えると PC8 までは 60km くらいの下り基調だ。 でも、このヒトヤマの途中で抜かれた方に 60km ほどつけ回すように後方数百メートルを走行した。 下りが緩くなると同じ速度では走れないので離されるわけだが、街中に入り信号があると、なぜか信号に引っかかりにくい当方が追いついちゃったりしたのだ。 加速が鈍く、走行速度も遅い当方が 60km もついていけたのは、はじめは下り、後のほうは信号によることだと思う。 しかし、道の駅「思川」の付近は信号間も数キロメートルほど離れているので、だんだん離されてついには見えなくなった。 ここまでで自分で思い知った。 「当方は一人だと遅い、誰かの後ろだと見える範囲なら離れていてもソコソコのペースで走れる」とね。
今回のブルベではこの区間がもっとも辛かった気がする。
まず、眠気がちょっとあった。 一人でダラダラ走っていると眠いのだ。 解決方法な特に見つけられなかった。 息も切れず、なんかすいーっと漕いでいる感じでこりゃイカンと思った。 結局、ぺだりんぐの回転数をちょっと上げたのが効いたかな。
左手の問題が再びでた。 痛い。 短時間なら右手も左手も離せるが、どうやら当方は左手でハンドルを握っているようで、これだけの疲労状態になると右手は 30 秒でも離していられるが、左手は 10 秒以上離すとコケそうな気がするくらいだった。 フロントディレイラーでの変速もできず、右手で変速した。 指も伸びなくなった。 おいおい治るのを期待したい。
写真は前回見落とした場所の近所。 コマ図では「大きい布袋様」と出ている。 寿老人に見えるが、まぁそういうコトで七福神なら弁天様でもいいか (笑
一応 17:49 ゴールできた。
記録は 33 時間 49 分。脚よりも足が痛い。
ブルベスタートからゴールまでの走行記録は以下の通り。
項目 | 内容 | 備考・他 |
---|---|---|
走行 | 613.88 km | ミスコース分含む |
実走行時間 | 8:10.20 | 24 時間で一周したと考えると、 32 時間 10 分 20 秒だと思われる。休憩や信号などで停止中は含まず。 (追記)よく考えたら停止時間が 1 時間ってことはないから、 20 時間で一周して、 28 時間 10 分と見たほうがいいだろう。 |
平均走行速度 | E | 休憩や信号などで停止中は含まず。表示はエラー。実走行が 32 時間余りなら、 19.1km/h 相当と思われる。 (追記) 28 時間余りと考えたほうが妥当だが、そうすると走行中は 21.8km/h とかなーり早かったことになる。うーん、ナゾだ。 |
期間中最高速度 | 64.9km/h | CX900 はよく転がる。ま、重いからボブスレーの要領でスピードが出るのだけど… |
ゴールして一休みしたら、志木によって自分で運転して帰った。 クラッチを踏んでいるうちに左膝が少々痛くなったが問題は特になかった。 それよりも心配した眠気がでた。 少々危険な気がしたので、ブルベ目的で自動車で川口へ行くときは一考の余地アリだ。
心配していた膝の腱は熱を持っていたので、アリモノの「熱さまシート」を貼り付けて寝た。 夜中に目が醒めたときにはガビガビになったので剥がした。 アイシングのほうが良かったかな?
100km ラップを取ってみた。 過去のペースからすると 100km あたり 6 時間ちょいというセンになりそうだと思っていたが、ソレよりも 5% 以上早い。 今回は、過去に使った「押し技」をいれず、立ち止まって休憩して、しばらくした後また漕ぎ出すという方法をとった。 押しをいれたらもう一時間くらい早かったかも? (^^;
ラップ(km) | 記録時刻 | 区間タイム | 区間タイム(10進数) | 区間平均速度(km/h) | 区間内容や備考 |
---|---|---|---|---|---|
100 | 12:09 | 4:09 | 4.15 | 24.1 | この区間はほぼ平地のみだ |
200 | 17:21 | 5:12 | 5.2 | 19.23 | ずっと登り基調だったがまだまだ元気だった |
300 | 23:25 | 6:04 | 6.07 | 16.47 | 今回のメーンイベントな 1000m 超な峠を越えるなどキッツイ登りが三本 |
400 | 5:49 | 6:24 | 6.4 | 15.63 | 夜中一人でトボトボと漕いでいるとこれくらいの速度になるのでこれが実力と思われる |
500 | 11:23 | 5:34 | 5.57 | 17.95 | ダラダラ登りを越えると下り基調になるのでソコソコのペースで走れた |
600 | 17:04 | 5:39 | 5.61 | 17.83 | 平地になると売り切れ脚の実力が出てくる |
614 | 17:49 | 0:45 | 0.75 | 18.67 | もうすぐゴールという高揚感からかペースが少し上がったと思われる |
total | - | 33:47:00 | 33.75 | 18.19 | トータルで 36 時間を切れるとは夢にも思わなかった、このペースで走れるならどこかで寝てもよいかもしれない |
上腕三頭筋や、腰の両脇の筋肉、モモの前側の筋肉が筋肉痛だ。 それ以外に左足の一部が痛く、体重をかけると痛い。 膝は夕方には治った。
筋肉痛は穏やかになった。 左足はまだ少々痛いが階段も下りられるので動きがぎこちない程度で済んでいる。
300km の途中から故障した左手は、上述のように完治しているわけではないが、わりとよくなっていた。 今回のブルベ中は回復しなかったし、今も力が入らない。 新型のハンドルの持ち方でもカバーできないくらい疲労が溜まったのかもしれない。
四回目のブルベだ。失敗したと思うことを書いてみたい。 詳細は箇条書きの下に記述。
道の駅でも、途中のお店でも買えたのに水を買わなかった。 それで山の中で頭痛に襲われるなど愚の骨頂。 水分補給はマメにしたいし、補給できるように水を積んでおくことも考えねばイカン。 今回は 60km 程度でもボトル二本じゃ足りないことがあるというコトを知った。
もうすぐゴールだからと思って、 PC8 で水だけ買って食べなかったら、猛烈に腹が減って脚が動かなくなった。 手持ちの羊羹を食べてしばらく走ったら復活した。 最後まで食べつづけることが重要だと痛感した。
四回目のブルベだ。成功したと思うことを書いてみたい。
大先輩から教わった「筋肉を使わない加速」を考えて、信号からの走り始めに立ち漕ぎをしないで回転を先にあげる方法を思いついた。 多分これが今回膝があまり痛くならずに済んだ最大の理由だと思われる。
重くなく、ハァハァしすぎず、くるくるとペダルを回すことを心がけた。 結果的には緩い加速とあわせて、膝を痛くせずに済んだといえよう。
四回目のブルベだ。今まででもっともダメージの小さいブルベだった。 なんたって、休息を取らなくても自動車の運転が出来るくらいだからな。 それでも課題を挙げて改良したい。
ゴールは 33 時間 49 分ということは、準備を一時間として、ここで 5 時間睡眠をとった後にすぐ 600km にスタートできるか? そう考えてみると、まだソコまでできない。 ソレを考えると修行もスピードも力も足りないのだ。
ハンドルに何かを巻くとかして楽に握れる方法を考えないとイカン。 あるいは手袋に何かを仕込むとかかなぁ。 今回は最後に手のひら部に軍手をクッションにして入れてみたが、ちょっと良かった気がした。 既に左手がメロメロになっていたので、改善はしたが悪くなるペースを落とすだけにとどまった。
途中回復したので概ね良いと思われるが、体調が良かっただけかもしれないので、次回以降も痛くないように終わりたい。
自動車の運転はちょっと控えたいな。 かといって輪行もなー…とは思う。 埼玉発のブルベで川口スタートは今年はもうないので、自走でいける場所(ゆうパークおごせ、巾着田)ばかりなので、輪行の問題や自動車の運転の問題と向き合わないで済む。 あ、川口だって 50km だから計算上はもう 3 時間弱チャリを漕げば帰宅できるが、 600km の後ではもうイッパイイッパイでカンベンだ。
終わった、次は 400km (アタック長野) だ。(2010/06/08)
今回も、大変感謝している方々がいる。 高速列車の方々、特に「 Team C.R.S の三人」にはもっとも感謝している。 まだまだ一人では走りきれるほどの力がないのだ。
思いつくところを追加してみたいと思う。 意見・感想も歓迎だ。
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