去る 2009 年 7 月に CX900 に乗り始めて、一年経たずにブルベに参加を始めた。 一応 200km も 300km も 400km も 600km も完走できている。
しかし、スーパーアタックな 400km では 9 割方走って最後の PC で 18 分ほどタイムアウトで DNF 、さらにアタック北信 600km も 6 分遅れで DNF した。 実は 600km 走りきれたのはマグレだったんじゃないか?という気もしてきた。 そこで今回は、満を持してぐるっと 600km (越生〜渋川〜栃尾〜弥彦〜長岡〜須坂〜嬬恋〜倉渕〜越生)、今度こそ日本海まで!逝ってきます。
対策・装備について記述する。 結果は後述。
上りの持久力・パワー不足、いかんともしがたいし、一朝一夕に向上するものでもない。 そこで、アタック北信の DNF の結果を受けて三本ローラーで LSD なトレーニングを開始した。 ま、毎日できたわけではないが、 69 日の間に 27 回できた。 パワータップでの計測では同じ心拍で少し出力が上がった。 すなわち、同じ出力なら少し楽になったわけで、相対的に持久力も向上したと期待できた。
また、当方のあまりのヘロヘロ度に大先輩が見かねたのだろう、インターマックスの自転車を貸してくれた。 CX900 が約 12kg に対し、インターマックス号は約 8kg だ。 差は 4kg というが、重量比で 1.5 倍なのだ。 この自転車に乗ってみたら「自転車において、軽いことは正義だ」と感じた。 すなわちパワーウェイトレシオが向上し、結果として速く楽に遠くに行けるようになったハズだ。
今回もコマ図スクローラを使う。
また、当方とハンドル周りの装備が非常に似通った方がいた。 NITTO: 便利ホルダー 2に、 GPS 端末は、当方の Colorado300 に対して先方は Oregon で兄弟機種だ、 さらに、ベル、メーターはたぶん同じ機種をお使いだった。
デジカメは今回も PENTAX Optio W90 。 カバーはエラストマーなカバー(PENTAX プロテクタージャケット O-CC1032)だ。
輪行袋は従来通りで行く。 軽量化のために持参しないのもアリだが、イザというときに寝袋にもなることを考えると持っていかないわけにはいかない。 CX900 は完全には入らないが、インターマックス号は少し小さいので大丈夫とみた。
インターマックスの自転車を貸してもらったので、装備を付け替えた。 自転車本体(約 8kg )に装備品と服・ヘルメット・靴を合わせると約 15kg になった。 他にはフレームに取り付けるボトルに飲料 1.5 リットルと 500ml のペットボトルのあわせて 2kg 、背中ポケットに大福だったりアンパンだったりのちょっとが、増えた計算だ。 コレでも水分は毎度 PC 前に枯渇し、何度かハンガーノック気味になったりとかなりギリギリだった。
インターマックスを貸してくれた大先輩との身長差はともかくサドル⇔ペダル間がなんと 6cm も違った。 当方は典型的日本人風体形の短足なのだ。 素直に 6cm 下げればよかったが、見栄を張って 4cm 下げて実走してみたが、 CX900 のサドルに比べて小さくて固いのが少々気になった程度で特に問題を感じなかったので、 4cm 下げでブルベに挑戦することにした。
下の図のように走るわけだ。 自転車で行ったことのない日本海。 多分行っても真っ暗なんだけど… 考えてみれば自転車で 300km ほど漕げば日本海に行けるってのはブルベで知ったこと。 行き着けるかなぁ? 帰ってこられるかなぁ? 不安は渦巻くが精神的にガンバって、肉体的にゆったり行ってくるのがいいだろう。
完走できた…アタック会津の 600kmはマグレではなかった♪
「コバンザメ作戦が成功」なブルベだった。
朝食はいつものごとくやきそば。 今回はバナナも追加。 どら焼きはナシ。
2010/10/02-05:59自宅からスタート地点である、ゆうパークおごせへ 15km の道のりを自走で向かった。 朝は曇っていた。
出発前のインターマックス号の総重量は…自転車 8kg 、装備(ヘルメット、服、靴、輪行袋、ヘッデン、前哨灯、 GPS 端末、カメラ、予備電池、空気入れ等) 7kg 、水分( 750ml ボトル x2 、500ml ペットボトル) 2kg 、当方本体 61kg で合計では 78kg になる計算だ。 CX900 で参加していたときは多分総重量 90kg を超えていたのでかなり軽量化できたと思われる。
今回はスタートを 07:00 (後半) とした。 いままではいつも前半のスタートだった。 理由は、当方が自分自身が遅いことを知っているので、 07:00 スタートの高速列車が追いついてきたときに便乗することを目論んでいたからだ。 今回については、ステバチ系な「ダメなときはダメ、列車に乗っかれないときは一人で走って、それで間に合わなかったらそのときはソノトキ」と割り切った考えでいた。
スタートするとしばらくは平地で PC1 もちょっとユルーく上るくらいだ。 わりとラクな気がした。 曇り空で、高温に弱い当方には条件がヨサゲだ。
単独で走っていたら、後ろにブルベライダーが追いついてきた。 当方は脚はソコソコ回るが、トルクが小さい。 それの特徴は、上りに激弱で、平地は無風で信号間が長いなら比較的速度が高くなることもある。 すなわち、信号のあるところでは加速が小さいので後ろのブルベライダーが多分イラつくんじゃないかと思いつつも、ゆったり加速で膝の腱を痛くしないようにと気を使っていた。
緩い加速をしていると、後続のブルベライダー達が抜きにかかってきた。 「やーりぃー!」心の中でそうつぶやき、列車の最後尾についた。 赤信号の後のスタートでは毎度離されるが、後ろがいないなら迷惑にもならんので、緩い加速で列車に追いついて乗車、信号で離されて追いつきを繰り返して、トータルでは楽をした。 曇り空も晴れ上がり気温はそれほど高くないが日射はサンサンと降り注いだ。
スタートから約 60km 過ぎたあたりだろうか、前方にブルベライダーらしい数人が見えた。 列車は追いついて抜いたわけだが、その速度差から 06:00 スタートであることが想像できた。 じっさい、抜く過程は街中だったので、何度か赤信号で止まるときに後ろにいて、「もう追いつかれた」とか「 7 時スタートは早い」のような声が聞こえた。 当方は心の中で「私も同じく遅いんですが列車に乗ると早く走れるんですよ」とつぶやいていた。 時刻としては 9 時ごろだったから、そう 60km について、彼らは三時間すなわち時速 20 キロメートル、当方らは二時間すなわち時速 30 キロメートルでココまで到達したということだ。 と、暗算したときには「うへ、負荷低くとか思ったがちょっと早すぎかなぁ」と思ったが、膝の違和感も特になかったので、そのまま無賃乗車を続けることにした。 通常過去の経験から当方の膝は 70km 〜 90km で痛くなった。 今回は時々違和感がでたり、登り坂登攀中にちょっとだけ痛くなったことがあったが低い負荷で漕いでいたら治るなど、膝の調子がよかったか、膝が強くなったか、漕ぎ方がうまくなったのか、とにかく最後まで膝で悩むことはなかった。 代わりに尻が痛かったけどな (^^; 100km を超えた頃からサドルにあわない尻が痛くなってきた。
2010/10/02-10:16PC1 は昼飯にはちょっと早かったのが、ハラが減ってきていたので、ちゃんと食った。 そのため、次々と後続の方らが到着。 また、ブルベ応援の方もいらした。 ガッツリ食べても PC2 につく頃にはハンガーノックになりかかっていた。
PC2 までは当方でも名前を知っている三国峠などを通過する前半のメーンイベント区間だ。
いや、 PC1 出てすぐなのに、なんかイキナリ、キッツいんですけど? もう押している人がいますよ。 PC1 は列車の方々を置いて、さっさと出て漕いでいたら、とてもキツいところで抜かれ、そのまま見えなくなった。 当方が押しを入れている人を抜くなど自分でも信じられないが、 06:00 スタート組な方々が押しを入れているように思えた。
国道 17 号に出るところで、なんか警官が多いところがあった。 どうやら皇太子が来るとかだったらしい。 なんか、警官とカメラ小僧(だとそのときは思った)のような人が談笑している不思議な風景に思った。 どんな要人か!またはアイドルか!がくるのかと思っていたが、皇太子だったのかー。 封鎖されて足止めくらった人たちがいるらしい。
ダラダラ漕いでいたら、水分が足りなくなりつつあることがわかって途中の自販機で飲み物を買い足した。 そのときに、抜かれたブルベライダーにどうにか追いついて、話をした。 その方は眠かったらしく、電話を知合いにかけたりしていたとか。 なんという素晴らしいアイデア! 傾斜は、三国峠への上りだから、それなりにあるが、めちゃくちゃキツいということもなく、なんとなくヨモヤマ話をしながら上っていけた。 この経験は大変興味深い。 気がまぎれるということは非常に楽だということだ。 名前はうかがっていないが、江東からおいでのその方には非常に感謝している。
三国峠のトンネルの手前に、チェックポイントでもなんでもないらしいが、オダックス埼玉の方が何人かいらした。 応援だったのかな? 写真を撮るのを忘れたわ。 ま、トンネルを過ぎて、下りに入って登り区間中に抜かれた方々をいっぱい抜いた。 CX900 は 700x32c だが、インターマックスは 700x23c でとても細いタイヤだ。 乗ってみての違いは、ハンドリングがとてもクイックで、さすがデュラエースなブレーキがとても効く。 CX900 では車体を寝かすとレールの上に乗ったかのようにいい感じに曲がれるが、インターマックスは壁の縁にタイヤを当てているかのようにさらに小回りが効くような感じがする。 タイヤ幅が狭いことにより、砂などで滑り始めたときには 32c よりも接地面積が小さいわけだからトータルの摩擦抵抗が小さいことが想像され、限界を見極めないといけない。 なーんてコトだったんだけど、上の写真を撮ってしばらく走ったところで、対抗車線の急な右折で、後輪をロックさせちゃった。 前はロックさせずにすんだので、揺らめいて車をかわした。 文句をいいに戻ろうかと 0.25 秒ほど考えたが、くだらないのでヤメた。
下りなもんだから単独で軽快にトばしていたが、なんかハラへってきてしまった。 途中何人か抜いたので、ダラダラ走っていればそのうち誰かが来て抜くだろう、そしたら便乗しようとフラチなことを考えた。 そして、今回とっても世話になった「 Saikami Express (サイカミ特急)」がやってきた。
その Saikami Express って何だ?と聞かれれば、当方が勝手に命名したオダックス埼玉のジャージを着た後輪ディスクホイールの人が混ざった列車のことだ。 ディスクホイールの走行音を初めて聞いた。 力が入るとゴワンゴワンと音がして、ギアを変えるとパコンと音が響くという独特の音がするホイールだ。 そういう特徴的なチャリとそのライダーのお仲間とおぼしき+ 2 名様の合計三名がいる列車だ。 当方のように列車に乗車している人もいた。 当方は勝手にコバンザメしていたので、もちろん無賃乗車だ。 や、もうね、ヘタレていたのでここでペースが上がって助かったのだ!
2010/10/02-15:44上の写真の右のほうに後輪が真っ黒な自転車がみえるだろうか? アレがディスクホイールだ。 音と見た目でビックリだ。 買い物も食べるのもさっさと済まして、コバンザメ作戦のためにさっさと単独で PC2 を後にした。
走るよ、走る、 Saikami Express に乗ってどこまでも ( PC3 までだけど…)
PC2 をさっさと発ったのにはわけがある。 一緒に PC を出ると、ちぎられるからだ。 PC を出て、身体を温めて少しでも進みつつ Saikami Express を待つという考えのコバンザメ作戦を取ろうというわけだった。 実際、早い! PC2 までもそうだったが、先行しているブルベライダーや列車をガンガン抜くのだ。 多分 30km/h 以上で常に巡航していたと思う。
Saikami Express は早いので、ちぎられたら二度と追いつけないから、上り坂に激弱な当方はとってもガンバってハァハァしてついていったのだ。
上の写真はなんだかわかりにくいだろうが、弥彦の大鳥居だ。 街中に入っても、どんどん進む。 当方はコースを知らないので単独ではこんなペースでは進めない。 このコースを知っているのか、はたまたナビがしっかりしているのか、なれているからコマ図をしっかり読めるのか、どういう理由にしろ当方は無賃乗車なコバンザメに徹していた。ここもコバンザメ作戦で Saikami Express に乗った。 真っ暗な日本海沿岸の道を走った。
2010/10/02-19:05PC3 は PC2 と同じ作戦、すなわち買い物と補給を早々に済ませて、一人で飛び出すのだ。 さっさと飛び出したら、目指す特急列車に追いつかれるまで時間がかかった。 早すぎたかなぁ? (笑
暗い中、河を下って日本海にでた…ハズだ。 上の写真の暗い中に点々と見える白い点は橋にある街灯だ。 あの橋までいけば日本海が見える場所のはずだと思った。 実際には真っ暗で何も見えなかった。 そして寺泊あたりで赤信号のおり水分補給して、青信号になったときになんと声をかけられたかわからないが、抜かれざまに例のゴワンゴワンという音が聞こえる列車に抜かれた! キターーー(・∀・)ーーー!!
大急ぎで列車を追う。 今回のブルベの中で一番のガンバりだったように思う。 (←バカ) 追いついてしばらく走っていたら、後ろから列車に追いつかれた! なんと、 Saikami Express に追いつく列車がいたなんて! まさに超特急だ。 一本の列車になったが、そのうち中切れした。 超特急について行くという手もあったが、無理してヘロヘロになって後悔するよりも充分に早い Saikami Express についていったほうが安心ということで、豪脚超特急に乗る案は 0.0125 秒で却下された。
上の写真は日本海だ。 右の方の点は、海浮かぶ漁船か何かだ。 一応水平線上に都市の光も見えるが、行った者しかわからないだろう。
2010/10/02-21:03PC4 で Saikami Express のメンバーの補給に異変が! そう!ほとんど補給しないのだ。 ここでピンときた。 この区間で宿泊するのだなと。 ということで、当方はいけるところまで行く作戦なので、補給を多めにした。 PC4 を出発するときは既に Saikami Express や他のブルベライダーはほとんど出た後だった。
この区間は向かい風がツラかった。 途中ヘタレていた当方に声がけをしてくれた Bike Friday という小径車に乗った方には大変感謝している。 声をかけてくれたおかげで精神的にヘタレていた当方が生き返ったからだ。
2010/10/02-21:34ずっと、暗い中を走っていたので見るものも特になく、誰かと一緒に走っていたのでもないので書くこともあんまりない。 あー、途中の道の駅のようなところの東屋などをヘッデンで照らしてみると反射材が目立ったのでブルベライダーが仮眠を取っているのだなぁと思ったわ。
都会を抜けて、長野のイナカ道へ…と、ハテ?走っていると見たことのある景色だ。 そのまま走行を続けるとわかった。 そう、 BRM724 で DNF 宣言して、傷心サイクリングで同じくらいの時刻に飯山から長野駅まで走っていった道だ。 再び走ることになるとは、なんたる奇遇。 不思議だったが、まぁ走ったことのある道ということでちょっと安心感が出た。
2010/10/03-04:52PC5 にはブルベライダーはもうほとんどいなかった。 それでもボチボチはいた。 菅平への上りに備えて PC5 でカップヌードルをすすっていたら、お店からダンボールをもらってきた人がいた。 眠いとのことで、ダンボールをしいて、レスキューシートというのだろうかアルミホイルみたいなのを引っ張り出してきて広げて、それに包まってダンボールの上に横たわった。 二分後にはイビキが聞こえたのでオチたようだった。 なんかでかいホイル焼きみたいだなぁと思ったことよ。 当方の場合は眠くもないので、眠くなる前に少しでも進んでおこうと PC5 を後にした。
峠三昧で今回のブルベのメーンイベントな区間だ。 元 PC6 は運営側の判断で格下げされて「通過チェック」になった。 要は時間制限でなく、買い物してレシートをもらって「その時間にソコにいた客観的証拠」をもって通過チェックとするということだ。
2010/10/03-05:05朝の五時を過ぎると東の空も明るくなってくる。 すると菅平のある山が進行方向に見えてくるのだった。 アレに登るのかー、山が高いなーと他人事のように考えた。
菅平へのアプローチ中に夜が明けた。 見ると山の上のほうは雲の中だ。 つまりはその標高になると霧の中を走ることになるって感じだ。 朝だけで、当方がたどり着く頃には雲が晴れるといいなぁとか思っていた。
キッツい傾斜で、押したくなる坂、今回はインターマックスというとても軽い自転車で荷物も大変少なくして参加しているわけで、なるべく止まらず、押さず、ユックリでもいいから漕ぎつづけることを目標としていた。 結果としては、転びそうになったとき以外は止まらずに登りきることができた。 冒頭の鳥居峠のあたりでは路面は完全に濡れていて濃霧の中の走行となった。 菅平から下るとき、寒かった。 コリャダメだと思ったよ。 軽井沢で 12 ℃だったので、菅平からの下りの体感温度はヒトケタ台だったろうと思う。 そこで、鳥居峠は登りは薄着で、テッペンで写真を撮ってからは上下にヤッケを着込んで下った。
嬬恋村のキャベツ畑の付近は道路がドロドロでいや〜んという感じだった。 トラクターが走り回っていたりと畑の風景というか、キャベツの生産工場のように見えた。 今年は暑くて葉モノが〜とかいう話も聞いたし、サトイモなども雨がすくなくてとか聞いた。 当方がみた畑は収穫が終わった後なのでなんともわからんという感じだった。 幸いだったのは登りが多く、あまり早くないもんだから下からの跳ね上げもそれほど多くなかったことだ。 きっと肥料とか土とか口の中にたくさんはいって当方のミネラル補給になったんだろうなぁ。
2010/10/03-10:52ブルベライダーいるかなーと思いながら四度目の二度上峠だ。 過去はアタック長野の時に往復して二回通って、三度目はリタイヤしたスーパーアタックの時だ。 ダレもいなかったので、寂しく写真を撮って鳥居峠を下りきって一旦脱いだヤッケを二度上峠のテッペンで再び着込んだ。
二度上峠の下りで、空腹感を感じた。 ヤバい!ハンガーノックの兆候だと思ったが持っていた食べ物は全て食べ尽くしていた。 オマケに体が冷えて、わき腹が痛かったり、お尻が限界に達してたりと下り基調なのに走行速度が伸びず残念なキモチになっていた。 下りでも脚はヘタレた状態で、腰もわき腹もお尻も痛くて通過チェックまでいけないかもと思いつつも、漕がないでも進むのでダラダラと進行した。 とにかく通過チェックまではたどり着いた。 この区間およそ 100km しかないのに 8 時間くらいかかってしまった。
ほぼ平坦な 70km といわれるが疲労困憊した当方には充分アップダウンのある区間だ。 ここで、当人たちにではないが今回の Saikami Express を含む過去に当方を引っ張ってくれた先輩方への恩返しができた。 すなわち、初めてのブルベの人(…なのに 600km ! スゲェぜ、尊敬!)をちょっと引っ張ることができた。
通過チェックは最後のストップポイントで、尻の痛みは限界に達しており、「あと 70km 」をどう走行しようかと悩んでいたが、ふとタオルか雑巾を尻に敷くことを思い立った。 ということで店内で雑巾を購入しウェアの尻のところに入れた。 時々ズレを修正したが、フィニッシュまでは持った。 それにしても痛くなってから 300km 以上走行したわけで、もっと早く思いつけばよかったと思ったことよ。
本当にチョットだ。 (^^;ゞ 「脚が売り切れるのでペースが落ちます」と宣言したら、代わりに前にでてくれた。 後ろから見ていると元気だなぁと思ったが、だんだんペースが落ちてきたので、再び当方が前にでるなど何度か交代した。 600km において当方が終盤に誰かを引くなど、想像できただろうか?いやできなかった。 そう、ちょっとだけなんだけど、過去に当方を引っ張ってくれた方々への恩返しだと思った。
2010/10/03-16:56最後の最後まで登りなんだよなー、ツラいなーと思いながらもコギコギして登ったさ。 記録は 32 時間 45 分だった! 33 時間 49 分だった BRM605 アタック会津よりも一時間も早く到着できた。 サドルに尻があわなくてとっても痛かったわけで、漕がない時間がそれなりにあったから、もしサドルが当方に合っていたらもう二時間くらい早く帰着できたかもしれない。
ということで、下のような数字が残る。
ブルベスタートからフィニッシュまでの走行記録は以下の通り。
項目 | 内容 | 備考・他 |
---|---|---|
走行 | 613.29km | 今回は初めてミスコースしなかった! |
実走行時間 | 8.15.16 | 休憩や信号などで停止中は含まず。 28 時間 15 分かなぁ |
平均走行速度 | E | 表示できず。 |
期間中最高速度 | 71.7km/h | きっと計測誤差に違いない (^^;ゞ |
フィニッシュのゆうパークおごせを後にし、自宅のある飯能までの 15km をダラダラと漕いで帰った。 飯能の当方が出入りしている自転車屋さんにツラだして、大先輩がいなかったので「完走と感謝を伝えて欲しい」と言い残して、帰宅した。 自身が非常にクサかったので店内に入らず、店の外で店長に話して店を後にした。
今回はもう一つのチャレンジで、 10/03 夕方に帰宅して、10/04 出勤した。 雨が降っていたのでコレ幸いと自動車で出勤した。 脚がガタピシという感じではあるものの出勤でき、仕事もなんとかこなせた。 キツかった。
ダメージとして一番は尻の痛かったところが腫れていて違和感があった。 また、筋肉痛について、エキセドリンという鎮痛薬の効能に筋肉痛があったので服用したところ、効いた。 夕方にはクスリは切れたハズだが、筋肉痛というよりも筋肉疲労という感じに変わったのでツラいときの薬としては有効だと思った。
尻の違和感のある腫れは依然として残り、筋肉痛はなくなった。 自転車で通勤して、筋肉は痛くはないが疲労が残っていることを感じた。
尻の違和感のある腫れは依然として残り、筋肉痛はなくなった。 自転車で通勤して、筋肉疲労は残っているような気がするが、通勤経路を峠系のちょっと遠回りにしてみて、パワータップで計測したところパフォーマンスとしてマズマズなくらいに回復していることがわかった。
費用的な面では、このブルベで使った費用はブルベ期間中で 6,751 円、申し込みにスポーツエントリー経由で 2,500 円だった。 約一万円で二日間、準備や後のダメージまで入れると約一週間楽しめるから、格安のお楽しみだ。
走行ベースでは下のような感じだ。 夜間の 400km あたりがダルんダルんなのは精神的に寝ていたんじゃないかなぁ。
区間 | 平均速度 | イイワケ |
---|---|---|
〜100km | 22.7km/h | |
〜200km | 24.7km/h | 三国峠を越えた |
〜300km | 21.5km/h | |
〜400km | 15.3km/h | どこかで寝ていた?漕ぎながら寝ていた? |
〜500km | 12.8km/h | 菅平・二度上峠を越えた |
〜600km | 18.9km/h |
八回目のブルベだ。 失敗したと思うことを書いてみたい。 詳細は箇条書きの下に記述。
CX900 のフカフカサドルに慣れた当方はインターマックス号の固いサドルはあわなかった。 まぁ、 100km くらいはなんとかなったが、もうね、ずっと「ケツいてー」と思いながら走行していた。 膝が痛くなければ尻が痛いとはなんとも皮肉なものだ。
なんとか、 PC にたどり着いたが、ノドが渇いたり、腹減ったりとギリギリ感のあるブルベだった。 そういうことを考えると補給は若干失敗が多かったように思う。
成功に関しては、要因はインターマックスの圧倒的軽い車体だろう。 加えて特急列車に乗車できたこと、膝が最後までもったことも挙げられる。
終わった、当方の一年間のチャレンジであるブルベが終わった。 ツラかったなぁ。 楽しいブルベができるようになるともっといいんだが…
長丁場のブルベを支えてくれているスタッフ、各列車の方々に感謝の念をささげる。
思いつくところを追加してみたいと思う。 意見・感想も歓迎だ。
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